年越しのテレビ番組によく登場していた北陸のお寺があります
雪深い、静寂の中新しい年を迎える様は毎年印象深く心に刻まれたものです
月日が過ぎて、実際に訪れてみた時に強く印象に残ったのは、、、
なんとお手洗い(ご不浄)
毎朝のお勤め(お掃除)で水拭きを重ね、なんとも清々しい空間になっていることに感動さえ覚えました
初めて行ったときは、ただその清々しさに感心しただけでした
単なるお掃除という行為の結果だという認識でした
その認識は
瞑想教師になった後に再訪して大きく変わりました
それは
お手洗いの床の石、柱の木、は
石のままで、木のままで、無限に美しくなる
ダイヤモンドや金になるわけではなく
自身のままで
どこまでも、どこまでも進化する
ことの現れなのだと
認識したのです
瞑想しても何も変わらない?
いいえ、自分自身のままで無限に進化します
再訪したお寺で
「いや〜、凄いわ、存在の無限の進化!」
などとはしゃいで?いた私ですが、瞑想している方に話すと納得されることが多いので、このコラムにも書いてみました